地学

箱根火山の歴史や形成について!カルデラや火山の一生

目次

  • カルデラとは?
  • 火山の一生
  • 箱根火山
  • 箱根火山は火山の集合だった
  • 古期カルデラ・古期外輪山
  • 中期更新世の箱根火山
  • 新期カルデラ
  • 中央火口丘の活動開始
  • 神山の崩壊による古芦ノ湖の分断
  • 神山崩壊の跡・大涌谷

カルデラとは

「カルデラ」とは、マグマが噴出されるにつれ、地下のマグマだまりに空洞ができ、上に乗る地盤の重みに山体が陥没してできるくぼみのことです。このカルデラを持つ火山を「カルデラ火山」といいます。カルデラが作られるような噴火は大規模で、地形の変化だけでなく、大量の火山噴出物を大気圏に放出して地球規模の気候変動を引き起こします。国内では他に北海道の支笏や熊本県の阿蘇などのカルデラがあります。

火山の一生

火山には寿命があります。ハワイのような、プレート境界とは異なる場所に火山島としてできるタイプでは、その寿命は数百万年近くとされています。一方で日本のように、プレートの沈み込んでいる場所に出来るタイプの火山の多くは数十万年程度の寿命と考えられています。火山の一生のモデルは以下の通りです。

  1. サラサラ(低粘性)で高温の玄武岩質マグマを噴出し、富士山のような成層火山(複数回の噴火が積み重なってできた円錐状の火山)を形成します。
  2. その後、安山岩質や流紋岩室などのドロドロ(高粘性)のマグマの噴出により、火砕流を発生させる爆発的な噴火を起こし、カルデラを形成します。
  3. カルデラの中に小さな火山(中央火口丘)群が出来るようになります。
  4. 火山の活動終了です。

箱根火山

箱根火山は、約65万年前に活動を始めた老齢の火山で、現在は活動終盤の段階に当たる中央火口丘の活動を続けています。すそ野は円錐型火山で、中央部が広くへこんでおり、その中にいくつもの小型の火山が配置された形をしたこの箱根火山は、じつはカルデラ形成と火砕流の噴出が繰り返された複雑な歴史を持っていることが分かります。

箱根火山は火山の集合だった

約65万年前に玄武岩質マグマを出す火山活動を始めた箱根火山は、富士山のような成層火山であったと考えられていました。ところが、中央火口丘を取り囲む外側の山の連なりの外輪山の最近の調査で、新たな事実が明らかになりました。

古期カルデラ・古期外輪山

通常成層火山は、中央の山頂に向かうような成層構造形成されるのに対し、箱根の外輪山では逆にカルデラ側に向かって、下向きに傾斜する成層構造が何か所も確認されました。また外輪山の溶岩形成時期がばらついて幅があることから、元々は峰をいくつも持つ火山の集合であったと考えられるのです。外輪山の北西部にある金時山は、そのような火山群のひとつです。中期更新世の中頃、約25万年前には、サラサラの玄武岩質のマグマから、爆発性の高い安山岩ないしは流紋岩のマグマに代わりました。箱根火山に最初にカルデラが形成されたのもこの時期です。この時期のカルデラを古期カルデラ、その縁部分を古期外輪山と呼んでいます。

中期更新世の箱根火山

その後、中期更新世末の23万年前~12万年前には、古期カルデラ内にある鷹巣山と浅間山の噴火活動によって溶岩が流れ出し、古期カルデラが埋められました。芦ノ湖はカルデラに出来た湖ですが、この時代、古期カルデラ内に今の足のこと同じような湖があったと考えられます。後に埋まって消失してしまいますが、この湖を「先芦ノ湖」と呼んでいます。

新期カルデラ

6万年前、古期カルデラの中で、軽石を噴出する大規模で激しいプリニアン噴火が起こり、最後のカルデラが形成されました。これを「新期カルデラ」と呼んでいます。噴出した軽石を含む火砕流が古期カルデラを刻む早川の谷やカルデラ壁を乗り越えて周囲に流出しました。この火砕流は箱根火山の裾野の部分に堆積し、丘陵や大地を作りましたそれぞれ約40キロメートル離れた、南側は達磨山の舩原峠、西側は富士宮まで到達したことが分かっています。この時期は、富士山の高さも裾野の広がりも今ほど大きくありませんでした。その為、富士山の南麓に位置する愛鷹山との間に谷のような隙間があり、そこを火砕流が通って富士宮まで流出したのではないかと考えられています。

中央火口丘の活動開始

新期カルデラの形成後、カルデラ内部で中央火口丘の活動が始まりました。中央火口丘には神山、駒ヶ岳、台ヶ岳などは「溶岩ドーム」という釣り鐘のような形をしています。二子山は2つのピークを持つ中央火口丘です。これらが数回、小規模なプリニアン噴火をして軽石を噴出したことが分かっています。カルデラ内の低い部分には水がたまり、古芦ノ湖が新たに形成されました。

神山の崩壊による古芦ノ湖の分断

現在の芦ノ湖湖底のボーリング調査では、3万年前にはすでに古芦ノ湖が存在していたことが分かっています。またその時期から湖の縮小が起きていたようです。地層は連続的に上に溜まっていく為、湖底堆積物の地層から湖の歴史を知ることができます。湖北部では、湖底堆積物の層が一部欠落していました。現在は湖底であるにもかかわらず堆積物の地層がないということは、干上がって陸地になった時期がある、つまり湖が縮小したことがあると考えられます。溶岩ドームが多くを占める中央火口丘の中で、神山は唯一の成層火山でした。これが3000年前、噴火により大崩壊します。崩壊した岩屑は西側へ流れ込み、カルデラの底を埋め、古芦ノ湖を南北に分断しました。分断された北側の湖は干上がって、現在は仙石原という湿地になっています。南側の湖は逆に拡大し、一時縮小して陸地になっていたところも再び湖になりました。

神山崩壊の跡・大涌谷

現在の大涌谷がこの神山の崩壊した跡です。のちに火山ガスや水蒸気の噴出口が形成されました。大涌谷の南には尖ったピークを持つ現在の神山があります。これは、火山帯の斜面が崩壊してなくなり、マグマが通る火道だけが残ったものです。これを「溶岩岩栓」と呼びますが、非常に特殊な地形です。大涌谷から、ろうそくのようにとがっている姿を見ることができます。同時期に崩れた地層がカルデラを埋めて作った高まりには、現在、ゴルフ場や別荘地が建設されています。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。