地学

富士山が美しい形をしている理由とは?

目次

  • 富士山が美しい理由
  • 円錐形をした独立峰
  • 谷などがなく滑らかな裾野
  • スコリアとは?
  • 古富士から新富士への移行

富士山が美しい理由

なぜ富士山はあんなにも美しいのでしょうか?

円錐形をした独立峰

一つは、均衡のとれた円錐形をした独立峰だということです。火山には、盾を伏せたような形をした楯状火山、お椀を伏せたような形の溶岩ドームなどの形がありますが、富士山は、成層火山という形に分類されます。平安時代にはどこから見ても美しい山なので、「八面玲瓏の富士の山」と呼ばれていました。

谷などがなく滑らかな裾野

もう一つは、山裾の斜面に谷がなく、非常に滑らかであるということです。周囲の5つの湖が富士山の姿を映し出したりするのも、美しさの要素の一つかもしれません。また、日本一高い山で標高3776メートルです。その裾野の面積も日本一広く、沖縄半島と同じくらい1200平方キロメートルもあります。どのようにして富士山は出来たのでしょうか?富士山の歴史は富士山から噴出物を調べると分かります。周辺の地域の地層に含まれる火山灰などから、その活動開始時期を分析すると、およそ10万年前だと推測できます。

スコリアとは?

スコリアとは、火山砕屑物の一種で、黒色で多孔質な岩片です。富士山の由来の火山灰として最古と考えられるものが10万年前につくられた川の段丘の堆積物のうえなどに見つかっているからです。それ以前にも、現在の富士山の位置に小御岳という火山がありました。その上に、10万年前頃から古藤さんという火山が火山活動を始め、スコリアと呼ばれる黒い軽石や火山灰、玄武岩溶岩などを大量に噴出しました。マグマが発砲するとスコリアや白い軽石ができますが、玄武岩質マグマの火山ではスコリアができます。噴火のあと雨が降ると、噴出物を下流へ押し流す泥流が発生します。この繰り返しによって泥流が下流に広がり、現在富士山の現在富士山のある一体に広い扇状地ができました。

古富士から新富士への移行

古富士と新富士が共存する時代

この時点で、現在の富士山と似たような山様は出来ていたと考えられます。10万年前に姿を現した富士山ですが、現在の富士とは異なるということで「古富士」と呼ばれています。1万7000年前から、古富士から現在の富士「新富士」への移行期が始まります。この時期には、古富士と異なる性質を持つマグマが流出しました。溶岩を観察すると、黒っぽい地に長石の白っぽい大きな斑晶が多く含まれています。それ以降、1万1000年ほど前までは、古富士の爆発的な噴火と、新富士の溶岩をダラダラ流すような噴火が共存する時代が続きました。かつて研究者の間で、新富士は1万1000年前から始まったと考えられていました。ところが溶岩の年代測定をすると、それ以前に新富士の痕跡が見つかりました。

古富士から新富士へ移行

そこで、古富士から新富士へ移り変わる過程で、両者の共存時代として6000年ほどの移行期間があったと考えられています。移行期終盤辺りでは時々、爆発的な噴火で軽石や火砕流を出すような噴火「プリニアン噴火」があったことがスコリアがその時代の地層に含まれていたことから分かっています。大量に噴出された溶岩の一部は30キロメートルほど離れた駿河湾まで到達しました。武蔵野台地や駿河湾では、スコリアなどではなく細かく火山灰が降ったので、黒土がよく発達して肥沃なと土地になりました。日本での火山の出来事は、縄文時代の終わりの約2900年前に現在の御殿場側にあたる富士山の東斜面で噴火が発生し、それによって大きな山体崩壊が起きました。山の8合目か9合目から頂上までが吹き飛ぶほどの規模だったと考えられています。

御殿場泥流

そのときに発生した泥流は御殿場泥流として南は黄瀬川に入り駿河湾の奥の三島周辺、東は酒匂川に入り、相模湾奥の足柄平野にまで届きました。足柄平野はこの泥流によって最大30~40メートルほど埋まってしまい、非常に大きな噴火であったことが分かります。海沿いに鴨宮という台地がありますが、その台地にも泥流として残っているので、海まで流れたことが分かります。足柄平野にも縄文時代に人が住んでいたと考えられていますが、その頃の遺跡は御殿場泥流が埋めてしまったため見つけることができません。ただ大規模な噴火ではありましたが、泥流はじわじわと堆積していったので、平野に住んでいた縄文人達は逃げることができたと思います。泥流とは、水や砂や泥が混じったもので、岩など重いものを浮かせて下流まで流す力がありますが、足柄平野付近は、一度上流にい堆積した泥流堆積物が洗い出されて再堆積した二次堆積物でしう。洪水のたびに少しずつ堆積していったと考えられます。

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