地学

関東平野はなぜ広いのか?プレート運動で作られた日本一広い平野について

目次

  • 平野とは?
  • 関東平野とは?
  • 関東造盆地運動
  • 関東造盆地運動の影響
  • 関東平野はどのようにできたのか?
  • 伊豆バー

平野とは?

日本の平野は基本的には低地と大地と丘陵で構成されています。低地とは、河川や海岸沿いの引く平たい地域で、大雨によって洪水が発生し、堆積物に埋められたり、浸食を受けたりします。洪水被害があるので危険ですが、住むのにはとても便利なところです。水が手に入りやすいので、水田や畑などの耕作地に適していますし、物資を運ぶときには河川を利用した水運が大きな役割を果たしました。もともと低地だったところが地殻の隆起でだんだん持ち上がってきたり、あるいは気候変化で海水準が低下したりすると大地を形成するようになります。大地になると洪水の被害を受けなくなりますが、時代と共にだんだん侵食され平坦なところがなくなってやがて丘陵地になります。低地と違い、台地・丘陵地には、水が得にくいという弱点があります。現代では水道などがある為人が住めますが、明治時代以前は台地は畑、丘陵地は里山や雑木林としてしか使えず、大部分の人は低地に住んでいました。

関東平野とは?

関東平野は日本一広い平野です。面積はおよそ1万7000平方キロメートルで日本の国土(約38万平方キロメートル)の5%近くを占めます。平野部だけで見ると日本の平野の面積は国土の約4分の1ほどの9万平方キロメートルなので、関東平野だけで日本の平野の18%にもなります。二番目の十勝平野は約8000平方キロメートル、三番目の石狩平野が6500平方キロメートルほどなので、関東平野は日本の平野の中でも断トツで大きい平野だと言えます。一般的に人が住むのは平野部ですが、関東平野だけで日本の総人口の34%にあたる4260慢人が住んでいます。面積だけでなく人口も集中していることが分かります。

関東造盆地運動

関東平野は、中央部が沈降し、周辺部が隆起する、「関東造盆地運動」という地殻変動を受けています。つまり、関東平野の真ん中は沈む土地、沈降盆地なのです。そこに利根川や荒川、多摩川など大きな河川が流入し、関東山地や北側の東北日本の産地から供給された礫や砂、泥などがこの沈む低い土地に堆積して関東平野ができています。関東平野の地下には、関東山地に分布しているのと同じ中・古生代(5億5000万年前~6500万年前)に形成された基盤岩を覆って、新生代真第三紀以降の堆積物が最大で3000メートル以上の厚さで堆積しています。

関東造盆地運動の影響

関東造盆地運動で沈降している中心部は茨城県の古河や東京湾北部などいくつかあります。隆起している周辺部は、多摩丘陵などの丘陵地や、房総半島、三浦半島周辺などです。沈降の中心部に近い埼玉県行田市では、古墳が田んぼの下に埋まっていたのが見つかりました。これらの古墳は酒巻古墳群と呼ばれ、5世紀から7世紀にかけて成立したとされています。当時は、洪水の被害を受けないような高い土地に作ったものと考えられますが、沈降運動で徐々に地盤が低下したため、やがて洪水を受けるようになり数百年の間に、堆積物に埋もれてしまったのです。一方、関東平野南部の縁の部分は、多摩丘陵や三浦半島、房総版図などの高まりが、低地や大地を取り囲んでいます。このような盆地の縁で隆起している地域の南や東の太平洋沖には、陸に非常に近いところにプレートの境界である相模トラフが存在します。

関東平野はどのようにできたのか?

関東平野はどのようにしてできたのでしょうか?これはまず海の中を考えます。海溝で海洋プレートが大陸の下に潜り込むとき、海底や海溝に溜まっている堆積物は上のプレートに取り残され付加体を形成します。プレートの沈み込みにともなって付加体はどんどん成長し、溜まると盛り上がっていきます。それが外縁隆起帯または前弧リッジと言われる高まりで、海溝に沿ってできますが、やがてその部分が大陸の一部になっていきます。この部分が今高い山や陸地を作っています。前弧リッジの内陸側には沈降した前弧海盆ができます。沈み込むプレートが下に向かっていく為、上のプレートは引っ張り込まれて少しへこむからです。この海盆が陸地に現れたのが関東平野で、前弧リッジが三浦半島や房総半島です。

伊豆バー

関東平野で前弧海盆が陸地に現れたのは、伊豆バーが影響しています。フィリピン海プレートの最東端にあり、海洋プレートでありながら、火山活動で形成された厚い火山性地殻の伊豆バーが過去数百万年の間本州に衝突し続けたため、このプレートの北端部と本州との間のプレート境界は北に押し曲げられ、陸にずっと近いところに移動しました。そのため、本来海の中にあるはずの前弧海盆が内陸側にでき、山地から川で運ばれてきた土砂がこれを埋めて広い平野を作りました。関東平野は、このようにプレートの沈み込みが陸地に近い位置で行われていた為、前弧海盆が内陸に出来てしまったところなのです。

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