文化人類学

拡大家族とは?極北に住むエスキモー(イヌイット)の家族関係について

目次
  • 集落の規模
  • 低い出生率
  • エスキモーの繁殖力が弱い
  • 拡大家族
  • 家族内の対立
  • 家族内のヒエラルキー

極北の広大な大地に住むエスキモーはどのような社会で生活していたのか知っていますか?

この記事では、エスキモーの家族制度について紹介したいと思います。

集落の規模

もともと、エスキモーは互いに離れ離れな小さな集落に分散して住んでいました。

ほとんどの集落は、10人から50人程度の規模で、家屋は1軒から5~6軒ぐらいの小さな集落で、隣の集落とは何十キロも離れていました。

小さいながらも自立していたエスキモーの社会では、そのほとんどが親族関係にありました。

家族関係はとても複雑で、時には50人の集落の全員が一つの大家族である場合もありました。

低い出生率

エスキモー家族の基本単位は核家族、すなわち、夫と妻とその子供でした。

エスキモーの夫婦はたくさん子供が欲しかったのですが、出生率は低く、1家庭に2~3人しか子供がおりませんでした。

1家庭あたりの子供が少なかったのは、繁殖力が弱かったためではないかと考えられています。

エスキモーの繁殖力が弱い理由

長い授乳期間

一つ目は、エスキモーの長い授乳期間です。

授乳をしている間、母親は排卵しないのでその間は子供を授かりません。

エスキモーは一般的に、子供が5~6歳まで、あるいは、それ以上の年齢に達するまで離乳しなかったので、その間、次の子をやどすことは原則としてありませんでした。

食料が乏しい季節に排卵が止まっていた

二つ目は、授乳していなくても、食料が乏しい冬などの季節には女性がやせてしまい、排卵が止まっていたと考えられます。

狩猟生活のエスキモーは厳冬期などは食料を捕獲が難しく、食糧が不足していることもありました。

高い流産率

三つ目は、エスキモーの女性の流産率が高かったためだと考えられています。

エスキモーの高い流産率は、移動の時や重い獲物を運んだり解体したりするような激しい労働をすることが多く、それが懐妊して間もない時期であると、流産は起こりやすくなります。

拡大家族

エスキモーの社会では、核家族が基本単位ですが、実際には拡大家族の場合が多かったです。

拡大家族とは、夫婦とその子供たちのほかに、夫婦の兄弟やイトコとその配偶者、そして祖父母などが同じ屋根の下に住む家族のことです。

しかも、1人の男性に2~3人妻がいたり、また地方によっては一人の妻に複数の夫がいる場合もありました。あるいは血縁者のほかに、拡大家族には婚姻による親族関係のものもいる場合が少なくなかったです。

そのため、欧米の一般的な家族とは違って、代表的なエスキモー家族では子供の数は相対的に少ないのですが、さまざまな親族が同居している大家族でした。

一つの集落に住む多くの親族や縁者が、一つの屋根の下での同居家族と同じような感覚で関係しあっていました。

お年寄りは豊富な知恵やしきたりやタブーに関する知識の持ち主として、そして昔話の語り手として尊重され、年を重ねるにつれて敬愛と尊敬の念を込めて大事にされました。

家族内の対立

長い期間少人数の家族集団が顔を合わせて生活しているので、エスキモー家族の人間関係には緊張がみなぎっています。

エスキモーの家族は互いを知り尽くしていたので、ほんのちょっとしたジェスチャーや顔色の動き、癖から複雑な感情や考えていることを読み取ることができました。

食料が十分にあり、家長が家族をそつなく指導して、そして個人的な感情の対立がないと、その大きな家族は平和な日々を過ごしました。

一方、食料が不足したり、家長が軽率に行動したり、あるいは個人的な感情の衝突が起きたりすると、家族関係は緊迫していました。

その場合、家族集団がこぞって別の場所へキャンプを移すか、他の家族を訪問したり、ゲームなどの娯楽に興じたり、あるいはお祭りや儀礼を執り行うことによってストレスを発散しました。

根深い対立が生じた場合、家族の一部が分離してよそに行く以外に解決する方法はありませんでした。

しかし、不満を持った夫婦がよそへ行くにしても、獲物がたくさんとれる狩場には誰かが既におり、食料を確保することができないなど、分裂することは危険を伴う行動でした。

どうしても集団内の対立関係が解決できない場合、不満を持つ夫婦は、遠く離れた親族の所に行って、そこで一緒に暮らす場合が多くありました。

このような分裂により、緊張を和らげる効果があると同時に、一つの拡大家族が大きくなりすぎないようにする効果もありました。

家族内のヒエラルキー

20~30人のエスキモーの家族が比較的安定していたのは、権力がヒエラルキー構造になっており、年長者は年下の人に権力を持っていました。

エスキモーの権力構造は欧米人にとって分かりにくいものでした。

なぜなら、エスキモーが権力を使う場合、目立たぬようにいするからです。

例えば日常会話の中で家長がおだやかに「アザラシ肉が少なくなっているな」と言います。

欧米人にとっては、そうした発言は事実を表しているだけのように聞こえますが、家長の息子には、その発言はアザラシ猟に行けという指示に聞こえます。

温和に表現されますが、エスキモーの家族の権力構造は厳格でした。

エスキモー社会の家族以外においては全社会的に上下関係を区別するような身分制はなく、原則として平等でした。

豊富な知識を持ち、優れた能力を備えた人は尊敬されますが、集団全体に影響を与えていました。

しかし、そのような場合でも、制度としてはそうした人物が駆使する権力の範囲は、自分の家族の中だけでした。

厳格な男女分業

エスキモーの家族はその規模と関係なく、男女の分業が厳格に定められていました。

男性の仕事

  • 大型動物の狩猟
  • 家や舟、道具、武器、什器、そして木、石、骨、アイボリーなどでものをつくること
  • 家族を危険から守ること

※アイボリーとは、セイウチやイッカクの牙のことです。長い間水につかっても変質しないため、木材より優れた材料です。

女性の仕事

  • 獲物の解体と食事の準備
  • 衣服などに使われる毛皮や草の処理
  • 菜葉、ベリー類、草、球根などの植物性食料の採集
  • 家の中の仕事

小型動物や鳥類や魚類の捕獲は男女共同で行っていましたが、地域によって分業しているところもありました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

この記事では、エスキモーの家族について紹介しました。

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